牧場のあゆみ
牛とのつながりは生きるため......牧場の歴史
昭和24年12月、大急ぎで裏の味噌小屋を片づけて、村で初めての乳牛が我が家にやってきました。
村のどの家にも、黒牛がいるのが当たり前の時代でした。
川原で放牧している時も、黒牛の中に1頭だけホルスタインの乳牛が、ポツンとはねっこで草を食べていたそうです。
我が家は、小さな村の地主だったため農地解放にて、ほとんどの田んぼはなくなり、生きるための手段として選んだのが、乳牛を飼うことでした。
初めは一人でしたが、そのうち仲間ができ、酪農組合を結成するまでになりました。
そして、だんだんと乳量が増えてくると、牛乳の出荷に困りました。
当時は、搾った牛乳は隣町まで、汽車にのせて運んでいました。
駅のプラットホームで時間がすぎて、腐敗してしまい、受け入れてもらえないこともしばしば起こったようです。
誰かが牛乳を処理すればいいのでは・・・
妙案もたらいまわしで最後に回ってきたのが我が家でした。
牛乳屋としての出発
昭和31年、小学校の廃屋をもらってきて、手づくりの処理場を建て、牛乳屋さんとして出発しました。
朝2時から起きて、牛乳を作り、手製の布袋に入れた熱々の牛乳を自転車で両脇に下げて配達し、牛の世話、草刈り、牛の世話、田んぼ、畑・・・毎日休まずに作業しました。
もちろん、家族全員です。
村の中ほどに、池があります。
村の人たちは、「いつ、あの家族が浮かんでいてもおかしないなぁ...」と噂をしていたそうです。
「ミルク工房 そら」の誕生
あれから、60年。
牛乳工場は、昭和48年には「平林乳業株式会社」として、法人組織を結成しました。
「丹後の牛乳」とし て、地域の方々にご愛顧いただき、60校を超える学校への給食で子供たちに飲んでいだたけるようになりました。そして、牛の頭数も増え、牧場は「神野牧 場」と名付け、昭和58年には最初のホルスタイン種からジャージー種に変え、平成12年には「ふれあい牧場丹後ジャージー牧場」として有限会社を設立しま した。
現在、35頭のジャージー牛を飼育し、創業当時からの「牛乳のおいしさを皆さんに伝えたい」という思いで、平成16年3月、乳製品製造工房「ミルク工房そら」をオープンしました。